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天龍川ウォーク6 -すべての幸せ-

2002年8月6日午前8時15分、私たちは桜ヶ池にいました。
57年前(今から60年前)の同じ時刻、広島に原爆が投下れました。
私たちは黙祷を捧げました。
黙祷を捧げる前に、一匹の亀が対岸の方の水面に顔を出しました。
黙祷が終わると、すぐ傍まで泳いで来ていました。
顔を持ち上げて、こちらをじーっと観察しているかのようでした。

原爆投下された時、私は生まれていなかったので、
それがどんなものであったのかは、人づてにしか知りません。
人づてにしか知りませんが、二度と繰り返したくないことです。
歴史に刻まれたことの中に、人は、何を見るのでしょう?
ただ過去のこととして捉えるには、死者の数はあまりにも多すぎます。

過去の続きである「今」。「今」の続きである未来。その時の今に、想いました。
時の流れの中で、過ぎてしまったことを踏まえた上で、前だけを見て生きて行くことの大切さ。理想や、希望や、願いを、今の自分の足元から歩くことの尊さ。
もし、そういうことを積み重ねて行くことができたなら、
常識も価値観も、何もかもすべてが変わっていくような気がしました。
人としての在り方も、夫婦や親子をはじめとする人との関わり方も、
物事との関わりも、自分を含めたあらゆるいのちや、この星の方向さえも。
亀の姿を見ながら、ただ漠然とそんな風に想いました。
八ヶ岳や、守屋山から汲んで来た水を桜ヶ池と浜岡原発にある池に、
「祈り」として捧げました。

2週間歩いて、私はすっかり想いが変わってしまいました。
根本に在るもの、基本にあったものがまるで変わっていました。
それまで、私は自分の想いを語ることを好まず、黙していました。
反対に野良屋かあちゃんは、想いを想い以上に非常に熱く語る人でした。
ウォークが終わったあとで、私は、自分のことばを語る人になろうと、
野良屋夫妻とともにいて想いました。
そして、ウォークから帰って来て2週間後、
「森へ帰ろう」という私のテーマ曲のようなうたが生まれてきました。

「えいこちゃんみたいに何も語らなくていいんだぁと想ったら、
何も言うことなくなっちゃったんだよね〜。」と、野良屋かあちゃんが、後になって言った。

その秋、浜岡を始め、あちこちの原発が稼働停止しました。(今は稼働しています)
そして、私は、ゆめやえいことしてギターで弾き語りを始めました。
風と水のウォークにて、関わった方々に感謝を込めて。

♪すべての幸せ それが僕の祈り 森へ帰ろう 一緒にね

おしまい 

by yumeyaeikoalways | 2005-06-17 23:37 | 足跡  

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