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土の上・星の上 大鹿村へ

土曜日のお昼に、17年一緒に暮らした愛猫・モリが逝った。
先週から食事を取らなくなり、木曜日から水も拒んでいた。よろよろと私の後をついて回っていたけれど、犬の散歩に出かけたわずか30分のあいだに空へ旅立っていった。
猫の17年間は、きっと長いんだろうなあ。人にたとえると何歳なんだろう?私にとってはずっと子どもだったけど。まだあたたかいそのからだを抱きしめて泣いた。↓生きてるときのモリ。
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午後、思い切って旧友ファミリーを訪ねて、大鹿村に行った。
大鹿村は、ここ八ヶ岳南麓から見て南アルプスの反対側。した道で車で3時間ってとこ。
このファミリーの長男が2~3歳の頃は彼らとしょっちゅう会っていたけれど、彼らが大鹿村に移り住んだ頃から、私も彼らもあまり外出しなくなってしまったので数年に一度しか会えなくなった。

今回は6年ぶりの再会。顔を合わせば会わないでいた時など消えてなくなってしまう気がした。でも、子どもたちは成長していて長男は中学生、二番目は小学校5年生になっていた。ふたりとも、優しくて頼もしいいい子に育っていた。そして去年3月11日、地震の2時間前に生まれたという娘も加わってなんともにぎやかであたたかだった。
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大鹿村はかなりの山奥で、殆どの家が、沢の水と薪ストーブと薪のお風呂。母屋と離れた場所にトイレがあって、ぽっちゃんが常識。鹿も猿も熊もいる。八ヶ岳の家事情より100倍田舎だ。旧友だけでなく、大鹿にはたくさんの知り合いたちが暮らしていて、強くてたくましい人ばかり。きっと、そういう人にしか暮らせない土地なんだろうと思う。

旧友宅に着いてすぐに温泉へ。「鹿塩」という地名があるのだが、この地の温泉は塩分が多くて、舐めるとしょっぱい。石や地層好きの古い知り合いも大鹿村におり、昔々はこのあたりは海だったと聞いたことがあった。大鹿には塩水の沢もあるという。本気で探せば塩が見つかるのかもしれない。湯は柔らかくていつまでもからだがほかほかだった。夕食は自家製小麦を挽いて全粒粉の手打ちうどん。数年前に私が春の陽から分けてもらった小麦を送ったもので、南部小麦とキヌノナミ、ちゃんと育てて彼らの日々の糧になっていることが嬉しかった。そして最高においしかった!

朝、村内放送のエーデルワイスで目が覚めると外はとてもいい天気だった。飛び起きて、外に出た。青い空と南アルプス、森の木々、沢の音、鳥の声、草と土のにおい。豊かだ。一緒に連れてきた愛犬・愛ちゃんと旧友宅の犬・りりーを連れてお散歩へ出かけると、私のジャンベを作ってくれたプレムとばったり出会った。今の彼は家を作っているのだが、以前は魂が宿る太鼓を作る人であった。私の太鼓は大鹿村の倒れたけやきで作られたもので深みのある音がする。私の太鼓の音が好きな人が欲しがって6人ぐらいから注文が入ったけれど、残念なことに彼はその後太鼓を作ることを突然やめてしまった。そんなこともある。もう太鼓を作っても魂が宿らないと感じたのかもしれない。

庭にいる鶏が産んだ玉子で朝ご飯を食べてから、向かいの山にいる友人の家に行くことにした。数年前から、市販のコーヒーを買うのをやめて生豆を自分で焙煎しているのだが、その生豆を分けてくれてる人がこれまた大鹿村の人で、カフェマヤという屋号で、グゥワテマラの車も入らない山奥のコーヒー農場の豆を扱っている。そろそろ家にある生豆がなくなることを思い出して、旧友たちと一緒に突然訪ねたら、運良く夫婦揃って会うことができた。
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ここのコーヒーを飲み始めてから、ほかのコーヒーは(家では)飲めなくなってしまったほど、最高においしい。農場のある村には車も機械も入らない。だから、当然農薬が入ることもなく、そしてすべて手作業でひとつぶひとつぶを本当に大切にしていると言う。
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そして、午後。本当に運がいいとしか思えないタイミングで、佐藤初女さんの講演会が大鹿村であるというので行くことにした。若い世代の主催で、前日にはおにぎりのワークショップがあったという。旧友と子どもたちはおにぎりワークショップに参加したらしく、朝、次男のアマラが教わってきたばかりのおにぎりを握ってくれた。
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大鹿村は物凄い奥地だというのに、愛知、岐阜、東京、神奈川、静岡、栃木、群馬からも参加者があり、参加者は合計で200人もいた。私が自然学校で賄いをしていたときの長・さっちゃんが憧れていた佐藤初女さん、映画・ガイアシンフォニー第二番にも登場している。最初、「野菜が痛くないように切る」という言葉に驚かされて興味を持ち、知れば知るほどその在り方に惹かれた。

震災以降、私はどうしても心がくつろげずにいて、初女さんや川口由一さんに会いたいと思っていたので、本当にありがたかった。「いのちの贈り物」という初女さんの映画の上映と講演。91歳とは思えないほど背中が美しかった。顔を見たとたんなんだか泣きそうになった。そして、初女さんは流れるように一時間話し続けた。講演が終わると「分かち合い」という時間が始まり、提出された参加者からの質問を読み上げて、その質問に答えていくというスタイルのものだったのだが、初女さんは質問の文章をすべて二度ずつ読み上げた。二度読み上げることで、心に落としているように思えた。丁寧に読み、丁寧に答える。

会が終わり、参加者が帰る。が、本番はきっとここだった。
なんと、初女さんは会場にいたひとりひとりの参加者を見送ってくれた。
中には初女さんにサインを書いてもらう人もいた。あんなにゆっくりと丁寧にサインを書く人を私は今まで見たことがない。私は、「人数が多いから手短かに済まそう」というこころがあった。けれど、初女さんは私の手を本当に丁寧に本当に大切そうに握って、「どちらからいらしたの?」「遠くから来てくださってありがとう」と言った。

私は、人に対してなんて雑だったことか。自分に対してなんて雑だったことか。
ありとあらゆるすべてに於いて、なんて雑に向かい合っていたのだろう。。
もっと ゆっくりでいい。もっと 丁寧でいい。

初女さんの言う、
「食べることを大事にするということは、
 目の前の食材である〈いのち〉を大事にするということ。
 その〈いのち〉は自分の〈いのち〉になってくれるのだから。 」
でも、それは、それで終わりではない。

目の前の〈いのち〉を大事にすると言うことは、自分の〈いのち〉を大事にすること、
自分の〈いのち〉を大事にするということは、自分以外の〈いのち〉を大事にすること、
それは、今、ここから、やがていつかにつながって、世界の果てまでつながるんだ。

短い時間だったけれど、得たものは大かった大鹿への旅。
迎えてくれた友人たちに、機会を与えてくれたモリの生涯に、心よりの感謝。
丁寧に、ゆっくりと、土の上、星の上。もう迷わないで進んで行かれると思う。
というか、迷うときは迷ってもいいんだとも思えたから!

---光の花 giura---

大鹿の帰り道、高遠の野良屋にも寄った。その話しはまた次回に。

# by yumeyaeikoalways | 2012-04-17 05:50  

自転車に乗って~♪

我が家は標高1000m。
約2900mの山の麓ですから、どこに行くにも坂ばかりです。
長年自転車に乗っていた私でしたが、この地に移り住んでから上り坂がきつくて乗らなくなり、20代から乗っていた自転車は友人に譲ってしまいました。でも、最近、自転車に乗っているときの風が恋しくなって、再び自転車を手に入れました。前の自転車を手放したのは12年前なので、当然、私は12 歳をとって、筋力も当時よりも落ちているようで、自転車が到着してから数日は家の周りをひとまわりするだけで、ぜ~~~は~~~^^;としてしまって体力が落ちていることを実感しました。。 

3.11以降、私は自分の在り方を問い直し、生き直そうとしています。
11年前の9.11の時も同じように自分の在り方を問うために立ち止まりましたが、
今回のそれはもう少し深くて強く、9.11からの変化を再び丁寧に修正している感じです。
「仕方ないな」と片付けていたものを、今、すべてひっくり返しています。
なんだか、自分の人生は「仕方ない」でできてる気がしてイヤになっちゃったんです。

水道をやめて沢水へ、洗濯機から手洗いへ、水洗トイレからバイオトイレへ。
ひとつひとつの作業にいちいちヨロコビを感じてしまう。そして、一日に自分が使う水の量がわかるのはいい。有限を知るということは、私にとってとても良い。

そこから始まって、この有限を知るという路線でいきたくなった。
冷蔵庫と洗濯機をやめたので、我が家の家電は照明器具とPCとホットカーペットのみ。
電力を使うものがなくなれば、取引したくない電力会社と縁を切れるので、独立型発電をやってみよう!

我が家で一番電力を使うのは1月、2月で、一ヶ月あたり150Kw、一日5Kw電力を消費している。とりあえず、100wのソーラーパネル2台から始めてみる。独立型発電についてあれこれ調べるのがとても楽しかった。太陽光発電にしろ風力発電にしろ、影の部分はあるのでそのこともちゃんと心に留めて使いたいと思う。そう、電力がなければないで、ろうそくや廃油ランプで過ごせるし、満月あたりなら照明なんていらない。

足るを知ること、ないものはないと知ること。
それから、何かがなくてもなんとかできることを知ること。
そうやって、ひとつひとつにしっかりとこころを置いていたいと思う。

自転車に乗るようになってから一週間、少しずつ少しずつ距離を延ばして、
昨日やっと自転車に乗っているときの風に出会えて、私のからだがとても喜んでいる気がしました。遠くまで行かれるようになりたいな♪ 自転車発電の仕組みでも調べてみようかしら?

さて、明日(今日か)は神奈川県海老名駅前・Vinawalkにてライブです!
神奈川は暖かいのかな、桜は咲いているのかなぁ。。
自転車に乗って~♪_e0016150_1272873.jpg

# by yumeyaeikoalways | 2012-04-01 00:49  

フクシマの嘘

30分ほどの映像ですが、とてもわかりやすくまとめてあります。
ドイツZDF フクシマの嘘

横内山梨県知事の弟の横内韮崎市長の提案で、韮崎市、北杜市、甲斐市の市長が、瓦礫受け入れに合意したそうです。市民の被曝と地域の汚染をお金(交付金)と交換するってこと。甲斐市と隣接する韮崎市の焼却施設で燃やして、北杜市の処分場に埋めるということなんだろうと思われる。

北杜市にある明野ゴミ最終処分場への瓦礫受け入れについての回答の一部で、県は「東日本大震災に伴う原子力発電所事故に由来する放射性物質に汚染された廃棄物の処理につきましては、災害廃棄物の広域処理に関する国のガイドラインや、昨年8月に制定された放射性物質汚染対処特措法において、安全に配慮した処理方法や基準が定められております。これによりますと、放射性セシウム濃度が8000Bq/kg以下の廃棄物については、一般の廃棄物と同様に管理型処分場に埋め立てることが可能とされています。」と言っています。

山梨県内のごみ焼却施設
・一般廃棄物焼却施設における焼却灰の放射性セシウム濃度の測定結果


受け入れる瓦礫は、t単位。Bq/kgではなくて、Bq/tで考えるとぞっとしちゃいます。
これについても震災前は100Bq/kg、震災後に8000Bq/kgに基準値を変えられているんですけどね。国の言い分としては、『100Bq/kgは「廃棄物を安全に再利用できる基準 」であり、
8,000Bq/kgは「廃棄物を安全に処理するための基準 廃棄物を安全に処理するための基準 」』なんだそうですが。

放射性物質に汚染されたおそれのある廃棄物の処理について
これは環境省の資料ですが、
この資料の中で、宮古市で2,281Bq/kg 、陸前高田市で3,450Bq/kgと算出されています。
国の決めた基準値内ではあるけれど。。安全だと思えるぅ?

瓦礫の受け入れに反対する理由/神戸大学大学院・山内知也教授

被災地の復興支援のため、瓦礫を全国で受け入れるべきだという お考えをお持ちの皆様へ

ここから北杜市長に意見を送ることができます。返事ももらえます。
繰り返し繰り返し、心をもって意見を伝えていきたいと思います。
市長への手紙

というか、、
国や他の地方でやいのやいの騒ぐ前に、
震災瓦礫のある地元の声を聴くことが先だったんじゃないかなぁ。。
東電の意見も聞かせてもらいたいし、、
でも、東電って誰なんだろう? ちゃんとした会社とは思えない。


明野最終処分場は、オオタカが棲み、熊が棲む、美しい森だった。
そこで生きていたあらゆるいのちたちの水場だった唯一の泉が壊された。
圏央道の高尾山トンネルも開通してしまい、いくつもの沢が涸れている。
お金がなくても生きられる。でも、水がなければ何ものも生きることはできない。
いろんな嘘を蹴散らして、大切を取り戻さなくちゃ。土地神様たちは見守っていてくれている!

北の国から027.mov


がっかりすることもたくさんあるけれど、心から嬉しいこと楽しいこともたくさんある。
夜明け前の闇は深いけれど、必ず朝はやってくる。
来週からバイオトイレ作りを始めます!楽しみ!! 
フクシマの嘘_e0016150_373714.jpg
(元ページ・Empreinte)

※追記  
「きっこのブログ」より
ガレキの広域処理で得する人たち

# by yumeyaeikoalways | 2012-03-23 23:11  

冬の終わり

久しぶりの更新です。

木曜日の朝、庭でふきのとうを見つけた。例年よりも2週間ぐらい遅いかな。
家の前にはまだ少しだけ雪が残っているけれど、あたりを包んでいる光りは既に春。

今年になって、冷蔵庫などをやめて電気もガスも最小限になった。
水も、水道を一切使わずに湧き水と雨水や雪を使うという生活に変えた。
当然いろんなことに時間がかかるけれど、慣れればどうってことはない。
というよりも、ひとつひとつのことに心をもって丁寧に向かうことができるので、いちいち水や火のありがたさを想ってしまいます。

必要なものと必要じゃないもの、それがよく見えてくる。
ちっとも豊かじゃない豊かさなんて、私は要らないな。

冬の間、一切を遮断してゆっくり過ごしてみて、
自分が疲れていることや深く傷ついていることがよくわかった。
戦争やめよう、原発やめよう、TPPやめよう、瓦礫を拡散させないで、山を壊さないで、等等、、思っていても叫んでみても自分には止められる力がない。自分の想いとは反対の方にいろんなことが進んでゆく。無力感やら痛みやらと一緒に居続けていた。

放射能の汚染が酷い土地にも春がやってくる。
いつもと変わらずふきのとうが顔を出しているだろう。

自由ごっこを終わらせよう。
成長ごっこを終わらせよう。
日本の心、日本人の心を取り戻して生きたいと思う。


冬のなごりを惜しみながら、暖かな春の気配を感じています。
さて、ぼちぼち立ち上がろうかいな。
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# by yumeyaeikoalways | 2012-03-17 06:39  

融和に続く

面倒くさ~いごちゃごちゃの渦に入ってしまいました(・・、)
わけわかんないことを書いてるかもだけど、大事なこと。
なので、前回の続き。

それぞれの「そもそも」から互いが離れて、相手の「そもそも」を"本当に"相手の「そもそも」通りに捉えられることが互いにできたらいいけれども、それは非常に難しい。透明な言葉で伝えても届いたと同時に着色されてしまう。受け取ったと同時に着色してしまう。それは、それぞれ大切にしていることが違うから。観ているものが違うから。

でも、本気で「変身しても良い」と思えるくらいの柔軟さと自分の大切から離れることができる賢明さがあれば、相手の「そもそも」のまま受け取ることや近づくことは不可能じゃない。と、思う。

双方がそうであれば、すぐに融和してしまうことだってある。
けれども、絶対に変身したくない人もいる。絶対に変身したくない時だってある。変身したくない人同士や、変身できる柔軟な人と変身できない強硬な人との話し合いは、もう消耗合戦。^^; 消耗合戦は出来る限り避けて通りたいけれど、そうも行かないときもある。

3.11以降、主に原発のことで何人かの友人を失った。今の私は原発があった方がいいという考えにはまったく賛成しないし、これからもそうなるとは思わないから何度話し合っても消耗合戦をするしかない。それでも、友を想う気持ちは変わらない。今はそれでいいかなって思ってる。どんなカタチになろうとも、その先にいつか必ず融和は待っている。

諦めに支配されそうになったりもするし、どうせなら全部ぶっ壊れちゃえー!と叫びそうにもなったりもするんだけれども、それでも、そんなときでも働き続けている夢見る力に私は私を明け渡したいと望んでいる。夢見る力は一人一人に宿っているけれど、私たちはそんな力などないと思っている。否、思わされている。あるんだよ、すべてのみんなに。そこにしっかりと立てばよし。それでよし。


いつまでも They love us,always! I love you,always!


測ってみっぺ!いわき 放射能測定引き受けます 不安な声を聞かせて下さい 安心に繋がる出会いになりますように・・・
福島のこどもたちにマスクを!緊急アクション!!

# by yumeyaeikoalways | 2011-12-23 06:50