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静寂と祈り

先日、野辺山の友人宅で、モンゴルの楽器・馬頭琴のコンサートがありました。
馬頭琴奏者は美炎さん。馬頭琴は木製(最近のものは)の共鳴箱と馬の尾毛を束ねた二本の弦という素朴な楽器で、馬の尾毛で作った弓で奏でます。モンゴル語ではМорин хуур(モリンホール)、日本語では馬頭琴と呼ばれており、「スーホの白い馬」で有名です。

楽器の先端が馬の頭のカタチをしています。うーん、美し~♪
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演奏は馬頭琴とピアノのデュオ。
私はあいまいな音階の民族楽器の合奏に惹かれるので、演奏前にピアノが入ることを知って実はかなりがっかりしました。が、演奏が始まってしまうと音とアンサンブルの美しさに、「がっかり」は消え失せてしまいました。オリジナル曲や日本民謡や童謡などはクラシカルではあったけれど、そういうものとして聴いた。モンゴル民謡の「たくさんの馬が走る曲」(タイトル忘れ中♪)では、私は馬に乗ってモンゴルの広大な草原を走った。音楽の力ってすごい。
力ある演奏者ってすごいです。
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音楽を聴くとき、するとき、特に打楽器に向かっているとき、私は静寂に溶け込んでしまう。
でも、普段の私は静寂とは遠く離れて、心や頭を四六時中使ってしまっている。心や頭が働くところで動くから、目の前にあるコト・モノ・ヒトに、或いは自分自身に、どうしても疎かになってしまう。

10年前に、日常にその静寂を連れてこようと思っていたときがあって、でも、その時は自分がまず静かになることが必要だということに気がつけず、なぜ静寂から遠ざかってしまうのかもわからず、そのうちに厭きてやめてしまった。
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けれど、今、「静かになる」ことが自分に求められている流れに乗っていて、「静かになって感覚しましょうよ♪」的なことが、自分自身にも、私が見ている周囲にも起きているように思えるのです。OK!波に乗ってしまおう♪ 私はその方角へ行きたい!静寂で在ることが「あたりまえ」になるまで繰り返し繰り返し。

私が私で在るように。あなたがあなたで在るように。

Amazing Grace-本田美奈子-

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by yumeyaeikoalways | 2012-04-29 01:23  

植菌&本物の賢さ

空穂宿のオジィと女将に誘われて、みんなできのこの植菌をしました。
庭にある植菌済みの木からきのこが生えなくなって久しい我が家です。
植菌は「桜が咲く頃までに」と言われているので、ちょうど良いタイミング。ありがたい。

ドリルで穴を開けて、
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コマ菌を打っていく。
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運が良ければ秋、または来年の春にはきのこが食べられるのだ♪

オジィは林政課の講座に参加してきのこ栽培を学び、冬の間の仕事で切った木を運んで人知れず植菌の準備をしてくれていた。そして仲間たちにはおもしろおかしくシェアしてくれた。

この夫婦はどちらもいつでもおバカで自然体です。
自分以上にも自分以下にもならず、他者を圧することもありません。なので他者から圧せられることがあったとしても上手に折り合ってしまいます。「自分がHappyであることが周りをHappyにする」ということを全身&全心で、ただただ実践しているだけ。そして、そんなことも考えちゃいないし語りもしない。平和と言わなくても平和で、自由と言わなくても自由で、愛と言わなくても愛なんだよね、本物は。「賢い」というのは本当はそういうことだと思うんだけれども、本人たちに言うと木に登って降りてこなくなるといけないので、ここだけの話しで♪
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by yumeyaeikoalways | 2012-04-25 01:43  

土の上・星の上 大鹿村へ

土曜日のお昼に、17年一緒に暮らした愛猫・モリが逝った。
先週から食事を取らなくなり、木曜日から水も拒んでいた。よろよろと私の後をついて回っていたけれど、犬の散歩に出かけたわずか30分のあいだに空へ旅立っていった。
猫の17年間は、きっと長いんだろうなあ。人にたとえると何歳なんだろう?私にとってはずっと子どもだったけど。まだあたたかいそのからだを抱きしめて泣いた。↓生きてるときのモリ。
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午後、思い切って旧友ファミリーを訪ねて、大鹿村に行った。
大鹿村は、ここ八ヶ岳南麓から見て南アルプスの反対側。した道で車で3時間ってとこ。
このファミリーの長男が2~3歳の頃は彼らとしょっちゅう会っていたけれど、彼らが大鹿村に移り住んだ頃から、私も彼らもあまり外出しなくなってしまったので数年に一度しか会えなくなった。

今回は6年ぶりの再会。顔を合わせば会わないでいた時など消えてなくなってしまう気がした。でも、子どもたちは成長していて長男は中学生、二番目は小学校5年生になっていた。ふたりとも、優しくて頼もしいいい子に育っていた。そして去年3月11日、地震の2時間前に生まれたという娘も加わってなんともにぎやかであたたかだった。
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大鹿村はかなりの山奥で、殆どの家が、沢の水と薪ストーブと薪のお風呂。母屋と離れた場所にトイレがあって、ぽっちゃんが常識。鹿も猿も熊もいる。八ヶ岳の家事情より100倍田舎だ。旧友だけでなく、大鹿にはたくさんの知り合いたちが暮らしていて、強くてたくましい人ばかり。きっと、そういう人にしか暮らせない土地なんだろうと思う。

旧友宅に着いてすぐに温泉へ。「鹿塩」という地名があるのだが、この地の温泉は塩分が多くて、舐めるとしょっぱい。石や地層好きの古い知り合いも大鹿村におり、昔々はこのあたりは海だったと聞いたことがあった。大鹿には塩水の沢もあるという。本気で探せば塩が見つかるのかもしれない。湯は柔らかくていつまでもからだがほかほかだった。夕食は自家製小麦を挽いて全粒粉の手打ちうどん。数年前に私が春の陽から分けてもらった小麦を送ったもので、南部小麦とキヌノナミ、ちゃんと育てて彼らの日々の糧になっていることが嬉しかった。そして最高においしかった!

朝、村内放送のエーデルワイスで目が覚めると外はとてもいい天気だった。飛び起きて、外に出た。青い空と南アルプス、森の木々、沢の音、鳥の声、草と土のにおい。豊かだ。一緒に連れてきた愛犬・愛ちゃんと旧友宅の犬・りりーを連れてお散歩へ出かけると、私のジャンベを作ってくれたプレムとばったり出会った。今の彼は家を作っているのだが、以前は魂が宿る太鼓を作る人であった。私の太鼓は大鹿村の倒れたけやきで作られたもので深みのある音がする。私の太鼓の音が好きな人が欲しがって6人ぐらいから注文が入ったけれど、残念なことに彼はその後太鼓を作ることを突然やめてしまった。そんなこともある。もう太鼓を作っても魂が宿らないと感じたのかもしれない。

庭にいる鶏が産んだ玉子で朝ご飯を食べてから、向かいの山にいる友人の家に行くことにした。数年前から、市販のコーヒーを買うのをやめて生豆を自分で焙煎しているのだが、その生豆を分けてくれてる人がこれまた大鹿村の人で、カフェマヤという屋号で、グゥワテマラの車も入らない山奥のコーヒー農場の豆を扱っている。そろそろ家にある生豆がなくなることを思い出して、旧友たちと一緒に突然訪ねたら、運良く夫婦揃って会うことができた。
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ここのコーヒーを飲み始めてから、ほかのコーヒーは(家では)飲めなくなってしまったほど、最高においしい。農場のある村には車も機械も入らない。だから、当然農薬が入ることもなく、そしてすべて手作業でひとつぶひとつぶを本当に大切にしていると言う。
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そして、午後。本当に運がいいとしか思えないタイミングで、佐藤初女さんの講演会が大鹿村であるというので行くことにした。若い世代の主催で、前日にはおにぎりのワークショップがあったという。旧友と子どもたちはおにぎりワークショップに参加したらしく、朝、次男のアマラが教わってきたばかりのおにぎりを握ってくれた。
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大鹿村は物凄い奥地だというのに、愛知、岐阜、東京、神奈川、静岡、栃木、群馬からも参加者があり、参加者は合計で200人もいた。私が自然学校で賄いをしていたときの長・さっちゃんが憧れていた佐藤初女さん、映画・ガイアシンフォニー第二番にも登場している。最初、「野菜が痛くないように切る」という言葉に驚かされて興味を持ち、知れば知るほどその在り方に惹かれた。

震災以降、私はどうしても心がくつろげずにいて、初女さんや川口由一さんに会いたいと思っていたので、本当にありがたかった。「いのちの贈り物」という初女さんの映画の上映と講演。91歳とは思えないほど背中が美しかった。顔を見たとたんなんだか泣きそうになった。そして、初女さんは流れるように一時間話し続けた。講演が終わると「分かち合い」という時間が始まり、提出された参加者からの質問を読み上げて、その質問に答えていくというスタイルのものだったのだが、初女さんは質問の文章をすべて二度ずつ読み上げた。二度読み上げることで、心に落としているように思えた。丁寧に読み、丁寧に答える。

会が終わり、参加者が帰る。が、本番はきっとここだった。
なんと、初女さんは会場にいたひとりひとりの参加者を見送ってくれた。
中には初女さんにサインを書いてもらう人もいた。あんなにゆっくりと丁寧にサインを書く人を私は今まで見たことがない。私は、「人数が多いから手短かに済まそう」というこころがあった。けれど、初女さんは私の手を本当に丁寧に本当に大切そうに握って、「どちらからいらしたの?」「遠くから来てくださってありがとう」と言った。

私は、人に対してなんて雑だったことか。自分に対してなんて雑だったことか。
ありとあらゆるすべてに於いて、なんて雑に向かい合っていたのだろう。。
もっと ゆっくりでいい。もっと 丁寧でいい。

初女さんの言う、
「食べることを大事にするということは、
 目の前の食材である〈いのち〉を大事にするということ。
 その〈いのち〉は自分の〈いのち〉になってくれるのだから。 」
でも、それは、それで終わりではない。

目の前の〈いのち〉を大事にすると言うことは、自分の〈いのち〉を大事にすること、
自分の〈いのち〉を大事にするということは、自分以外の〈いのち〉を大事にすること、
それは、今、ここから、やがていつかにつながって、世界の果てまでつながるんだ。

短い時間だったけれど、得たものは大かった大鹿への旅。
迎えてくれた友人たちに、機会を与えてくれたモリの生涯に、心よりの感謝。
丁寧に、ゆっくりと、土の上、星の上。もう迷わないで進んで行かれると思う。
というか、迷うときは迷ってもいいんだとも思えたから!

---光の花 giura---

大鹿の帰り道、高遠の野良屋にも寄った。その話しはまた次回に。
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by yumeyaeikoalways | 2012-04-17 05:50  

自転車に乗って~♪

我が家は標高1000m。
約2900mの山の麓ですから、どこに行くにも坂ばかりです。
長年自転車に乗っていた私でしたが、この地に移り住んでから上り坂がきつくて乗らなくなり、20代から乗っていた自転車は友人に譲ってしまいました。でも、最近、自転車に乗っているときの風が恋しくなって、再び自転車を手に入れました。前の自転車を手放したのは12年前なので、当然、私は12 歳をとって、筋力も当時よりも落ちているようで、自転車が到着してから数日は家の周りをひとまわりするだけで、ぜ~~~は~~~^^;としてしまって体力が落ちていることを実感しました。。 

3.11以降、私は自分の在り方を問い直し、生き直そうとしています。
11年前の9.11の時も同じように自分の在り方を問うために立ち止まりましたが、
今回のそれはもう少し深くて強く、9.11からの変化を再び丁寧に修正している感じです。
「仕方ないな」と片付けていたものを、今、すべてひっくり返しています。
なんだか、自分の人生は「仕方ない」でできてる気がしてイヤになっちゃったんです。

水道をやめて沢水へ、洗濯機から手洗いへ、水洗トイレからバイオトイレへ。
ひとつひとつの作業にいちいちヨロコビを感じてしまう。そして、一日に自分が使う水の量がわかるのはいい。有限を知るということは、私にとってとても良い。

そこから始まって、この有限を知るという路線でいきたくなった。
冷蔵庫と洗濯機をやめたので、我が家の家電は照明器具とPCとホットカーペットのみ。
電力を使うものがなくなれば、取引したくない電力会社と縁を切れるので、独立型発電をやってみよう!

我が家で一番電力を使うのは1月、2月で、一ヶ月あたり150Kw、一日5Kw電力を消費している。とりあえず、100wのソーラーパネル2台から始めてみる。独立型発電についてあれこれ調べるのがとても楽しかった。太陽光発電にしろ風力発電にしろ、影の部分はあるのでそのこともちゃんと心に留めて使いたいと思う。そう、電力がなければないで、ろうそくや廃油ランプで過ごせるし、満月あたりなら照明なんていらない。

足るを知ること、ないものはないと知ること。
それから、何かがなくてもなんとかできることを知ること。
そうやって、ひとつひとつにしっかりとこころを置いていたいと思う。

自転車に乗るようになってから一週間、少しずつ少しずつ距離を延ばして、
昨日やっと自転車に乗っているときの風に出会えて、私のからだがとても喜んでいる気がしました。遠くまで行かれるようになりたいな♪ 自転車発電の仕組みでも調べてみようかしら?

さて、明日(今日か)は神奈川県海老名駅前・Vinawalkにてライブです!
神奈川は暖かいのかな、桜は咲いているのかなぁ。。
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by yumeyaeikoalways | 2012-04-01 00:49