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音合わせ 心合わせ

私は、うたうたいであるが、打楽器奏者でもある。そして、太鼓教室の講師でもある。始めた頃は2クラスだったのに、今はクラブ的なものをあわせると8クラスもある。


去年から、障害者と呼ばれる人たちのクラスと、子供のクラスが加わった。それまでは、健常者と呼ばれる人の大人のクラスだけだったから、それまでの自分やそれまでの教え方では、通用するはずがなかった。

「私も一人の人間、相手も一人の人間」と言う気持ちと、「私も豊かになる、相手も豊かになる」という気持ち、そして、絶対的に肯定する気持ちを自分の中心にいつも置いて時を重ねて行くことにした。少しずつ信頼を重ね、今では教室でありながら、あたたかな家庭のような場になった。色々が、とてもスムーズだ。

音合わせするには、心合わせする必要が絶対にある。音楽や楽器に慣れている人であるならば、音合わせイコール心合わせなので、あえて心合わせをするという必要がない場合が多いけど(逆に心合わせが不可能な場合もあるが..)、初めての人や音楽に苦手意識を持っている場合、「心合わせ」は必須だ。ペースと一緒で、合わせよう合わせようとしたって、合わせられるものではないが..。

自分と相手の境界を取っ払ったところ..。そこに自分を置いてみると、気持ちよく、心地よく、音合わせができる。そして心合わせも。双方がそこに立てるとなお良い。それは太鼓を教える時も同じだし、何をするのも同じなんだと、私は想っている。愉気と同じかな?

障害者と呼ばれる人たちが、私に教えてくれたことは、数えきれないほどある。正しいと想ってたことが間違っていたりするし、間違っていると想っていたことが何でもないことだったりする。私はそんな色々を教えてもらいながらも、太鼓を教えるという立場に誇りを持って関わっていたいと想う。

今月から、引きこもりと呼ばれる子供たちのクラスが始まった。きっと今までの私では通用しないんだろうが、愛し切るのみ、信じ切るのみだと想っている。そこが入り口な気がする。

今、太鼓を教えている子供たちが大人になった時、どんな人とでも、音合わせ、心合わせが容易くできるといいなぁ..なんて、夢は広がる。音楽を通して、大切な「何か」を私は育んでいたいのかもしれない。
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by yumeyaeikoalways | 2005-05-27 22:28 | 思ったこと  

満月祭

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満月祭、開催。きらきら主催で、場所は-Singing Stone-おおえさん宅。
去年、月のリズムを感じながらいのちやつながりなどを尊び合う、そんな会を持ちたいなぁと「勝手につながるお月見ネット八ヶ岳」と言う集いを数ヶ月ひらいた。今回、人と人のつながりによって、「満月祭」として復活した。


たき火を焚いて、ごはんを持ち寄って食べて(八ヶ岳ならではの季節の食べ物が並んだ。そして、みんな、おいし〜い!!自給率も高いのだ♪)、太鼓、笛、カリンバ..音楽を奏でながら、まあるい月をみんなで愛でました。

月はずっと出ていたけど、途中、雨が降って来て家の中に避難。P-chanは帰り支度をしながら「えいこのうたを聴いてから帰る。」と言った。雨が降っているけど、どーしても、たき火の前でうたいたかった。なんか、どーしても譲れない”どーしても”だった。
で、二人でたき火前に移動。前の晩にできたばかりの新曲「ココロ」をうたった。うたい始めると家の中から、一人、また一人とたき火を囲んでまあるい輪になった。うたい終わったら「もう一曲!」とリクエストされて、結局3曲うたった。

本当は,嬉しくて泣きそうになったけど、泣かなかった。
雨が降っていても、私のうたを聴いてくれる人がいるんだ..。その気持ちに応えることができなかったら、うたうたいとして失格なんだ。「うたに、なる。」ってことを、私はこの日初めて自覚した。”間違えちゃった”は、その自覚が足りなかったから。今までは、うたってる時に余分なものがついていたんだなぁ。
雨の中、P-chanをはじめ、聴いてくれたみなさん、本当にありがとう!

「満月にこういう集まりはいいですねぇ。」と、おおえさんがしみじみと言ったのが心に残った。
かっこえ〜っ!
今、ここに生きていると言う奇蹟。人と人とが巡り逢い、時をともにすると言う奇蹟。うたうことで出逢って行く、私を立ち止まらせてくれる瞬間が、私は嬉しい。

主催のきらきら、良い場を与えてくれたおおえさん、お祭りの後のあったかいスープを用意してくれたわかこさん、どうもありがとう。空のおつきさま、ありがとう。

まあるい月のまわりには、薄い雲が広がっていて、美しい虹色の光を放っていました。
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by yumeyaeikoalways | 2005-05-24 23:21 | ライブ  

高遠の森で -水のみち、人のみち-

毎年、この時期に愛知の小学校5年生が、長野県高遠町の石釜パン野良屋にやってくる。高遠のNPO「あったかとお」を介しての選択式課外授業。3コースあるうちのひとつ、野良屋のタイトルはココペリ。ココペリとは、ネイティヴアメリカンと生きる音楽の精霊のこと。

まずは、太鼓でお出迎え。今年の音楽担当はかつみさん、ダイちゃん、八ヶ岳からてっちゃん、コバ、きらきら、私。緊張しながらも、内にあるドキドキとワクワクで子供たちの目は既に輝いている。子供たちと先生で40人。みんなで手をつないで輪になった。
野良屋かぁちゃんがみんなに問いかける。
  ー水は来るのかな?行くのかな?ー

今回は「水」を通して、「巡り」をテーマにしてる。

ティピをたて、粉と水でチャパティを作り、斧で薪を割って、藁や木の皮で火をおこして火を育て、みんなで、チャパティを焼いて食べた。そこにあるのは、「生きる」ってこと。生きて行く為に必要な最小限のものを、子供たちは「楽しい」という気持ちと一緒に体験したんだと思う。最小限のことだけど、この時代には一番難しいコトなのかもしれない。みんな、夢中でみんな楽しそうだった。

午後はスライド上映会。「酋長シアトルからのメッセージ」。力によって自分たちの土地やいのちを奪う人々(現在のアメリカ人)に向けての、深い愛のあふれるアメリカの先住民のメッセージ。かぁちゃんが語り、とぉちゃんがスライドを動かし、楽団が効果をつける。ほとんどぶっつけだったけど、いい感じだった。

そのあと、今,飲んでる水の道をたどって、森の奥へ、山の奥へ。...水はどこから来るのか?...結構キツめの野良屋の裏山を登って、沢まで歩いた。

左手を骨折してる子・・。
楽しいから登れたんだよね。「どーしても登りたい」というオーラを放っていた。
なんか、君の姿に感動しました。

戻って来て、おやつ。野良屋のスコーン&紅茶。
最後は野良屋夫妻とみとと、音楽担当全員で「レサムピリリ」を演奏した。食い入るように観、聴きしてくれたみんなの表情、よかったなぁ。心の箱にしまっておこう。


離れていても逢わずにいても、
いつもいつも、私は野良屋と同じところを歩いていると感じる。
目には映らない”みち”を、いつも一緒に同じ足取りで歩いている気がする。


水は来るのかな?行くのかな?
人のいのちは来るのかな?行くのかな? 巡りの中、水のみち、人のみち。
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by yumeyaeikoalways | 2005-05-23 02:12 | イベントなど  

夢を生きている

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ゆめやえいこ。
私は,夢を生きている。
dreamの語源は、「音楽」「喜び」。

2002年、秋。突然私はうたい始めた。
「たぶん、私に宿る深い想いがそうさせた」としか言いようがない。打楽器奏者ではあったけど、まさか自分がうたをうたうなんて、思いもしなかった。

でも、うたい始めて、本当に良かった。うたい始めてからだって、何度もやめようと思ったけど、うたうことやめなくて良かったなぁと、今、本当に想っている。

音楽を通して出逢ったヒト、コト、モノたちが、私を学ばせ、成長させてくれた。
それは、私の音楽にプラスされ、音楽を通して出逢ったすべてに再び贈ることができる。 「幸せの交換」って友人が言った。そーゆーのって、嬉しいね。
人はいつからでもどんなことでも、何でも始められるんだと思うし、自分が変わればすべてが変わるってことがどう言うことなのかもわかった。

何をしていても、何処にいても、どんなことも、すべてが私の音楽になる。だとすれば、私は常にやりたいことをやって生きているってことなのかも。

「Love with everything always」
うたい始めたからこそ、出逢えたすてきな想いです。
私はこの地上で夢を生きている。あなたと共に,音楽と共に。
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by yumeyaeikoalways | 2005-05-22 02:07 | 足跡