カテゴリ:思ったこと( 17 )

 

時間をはずした日、天国はつくるもの

13の月の暦では、昨日は「時間をはずした日」でした。
私は「天国はつくるもの107+1」という映画を観に行きました。感想は、「スゴイ!」、そのひとことにつきます。人の内なる可能性。あきらめず、やり続けることで、ここまでできるのか、と。感動の連続でした。やられました〜。挿入歌も、とても良いです。

続きはこちら♪
[PR]

by yumeyaeikoalways | 2005-07-26 23:06 | 思ったこと  

ココカラ・ハジマル

「どうも元気になれない」って言う友人たちの言葉がきっかけとなって、いろいろな生命たちが活発に動き始める頃、八ヶ岳で「ココカラ・ハジマル」と言うタイトルのコンサートを開きました。いろいろな意味で、自分にとってもみんなにとっても、そのコンサートが再スタートになればいいなぁと言う願いを込めて、上弦の半月という時を選んで企画してみました。

そのコンサートから10日前に、近所のスウェーデン人の鉄の作家さんが心不全で突然亡くなりました。44歳でした。茨城弁の日本語を話すこともあって、商店街の金物屋さんからバナナをもらうほどの人気者だったのですが、私はなかなか逢うことができず、逢って時を共にしたのは亡くなる当日のお昼でした。突然現れた彼と、お昼ご飯を一緒に食べました。


ご飯を一緒に食べながら、森の話、水の話、家族の在り方の話や福祉についての話などをしました。すべての話に共通していたのは、世の中がこうだったらいいね、ってことで、彼は最後に、「でも、全部人の手で始めてしまったことだから、人の手で変えられるはずだよね〜」と笑って、帰っていきました。私にとっては、それは遺言になってしまいました。

人には人の正しさがある、というところからなかなか脱せずにいた私に、「共有できる正しさ、豊かさというのを作っていくことを諦めるないで」と言うこと、「自分の答えを、もっと鮮明に表現してごらん」と言うことを、私は彼から受け取りました。

様々な環境問題、戦争や飢餓や貧困、人の食のための植物、動物たちの現状など、ひとつひとつ部分的に見て解決を想ってみても、複雑すぎて気が遠くなってしまいます。どこから始めればいいのか、何から始めればいいのか。でも、必ず、人の手で変えていくことができる、と私は想います。

起きてしまっていることは、誰かのせいではないと気づき、そして、自分が当事者の一人だと気がつくことからしか始まらないのかもしれない。気がついたら、その答えを自分が生きることで、すべては変わっていくのかもしれない。世界中が共有できる豊かさや正しさを自分のワクワクする気持ちや楽しいって言う気持ちから、創り上げていきたいな。この世はみんなで創っているんだもん。

太陽の光を浴びて、光と影が丁度半分に見える上弦の半月。同じように自分の中の光と影、その両方が自分と生命のまるごとの美しさなのだと想います。「ココカラ・ハジマル・コンサート」から3ヶ月、光に出逢い影に出逢い・・、いつでも、どんなことも、自分の力になってくれる。痛みも、悲しみも、その先の自分の力になっていく。ココカラ・ハジマル、思い描く未来を、足元から、目の前から、そして、世界のすべてに。
[PR]

by yumeyaeikoalways | 2005-07-24 05:43 | 思ったこと  

幸せの交換・ukkyさん

e0016150_054612.jpgゆめがたりに、コメントを残して下さるukkyさんの陶芸ブログ・さるのやきものが、エキサイトの「今週のピックアップブロガー」で、紹介されました。

←きっかけになった、友人の作品「ほあ〜ん」
私が、パソコンを始めてから、自分の知り合い以外のブログで初めて訪ねたのが、さるのやきものです。コメント欄の方々が、同じようなことを言っているのがおもしろいなぁと想いました。引き寄せるものがあるんでしょうね。私も、引き寄せられてしまいました。
きっかけは、陶芸家の友人の作品がさるのやきもので紹介されていたこと。そして、初コメントは私の大好きな星野道夫さんにふれた記事でした。

さるのやきものは、コメントのやりとりを見ているだけで幸せになってしまいます。私は、やきものをやってないので、やりとりを眺めていることが多いのですが、そのやりとりが、幸せの交換をしているようで、とても好きです。

いつでも、ひたすらに、ひたむきに、自分の情熱を惜しむことのなく陶芸に取り組んでいる様子と、文章の独特なリズムが好きで、楽しみに読ませて頂いています。地に足をついて、いつだって楽しんでいる毎日が伝わってきます。きらきら輝いているのが、逢わなくても伝わって来ちゃうから不思議です。

今回、ukkyさんが、インタビューの中で、ゆめがたりを紹介して下さいました。愛してますと言われて、わっ、どっきり!
私も、自分の情熱にもっともっともっともっと取り組んでいこうって、想いました。
ukkyさん、どうも、ありがとう!
[PR]

by yumeyaeikoalways | 2005-07-22 23:54 | 思ったこと  

大切な人

あなたにとって、一番大切な人は誰ですか?
e0016150_0551271.jpg

私にとって、一番大切な人は「私」です。それは何故かと言うと、「私」のことを一番大切にしてあげられる人は、私だからです。「喉が渇いたなぁ」と想った時に、喉が渇いている自分に水を与えられるのは自分です。おなかがすいた時にごはんを食べるのも、眠い時に眠るのも、トイレに行くのも、他の人には出来ません。

また、嬉しいと感じたり、悲しいと感じたり、怒っていると感じることも、全部自分に起きる感情です。そして、その感情たちとどう付き合うかを決めることが出来るのも、自分しかいません。言い変えればすべては『自分で選べる』ってことです。抑えることも振り回されるのも、そのまま表すのも放っておくのも、全部自分で選ぶことができます。


今、私は感情をそのまま表します。嬉しい、悲しい、楽しい、腹立ったと、ほぼ感情と直結です。感情は自分に与えられた素敵なもののひとつだと想う。

生まれて育っていく過程で、感情を抑えなくてはいけないということを教わった。感情を抑えるというのは、私にとってとても不自由なことだった。でも、それに慣れていくことも出来た。感情と全然違うことが出来てしまったりする。人間ってスゴいです。けど、抑えられた感情は心の中で姿を変えながら育っていくような気がする。

感情を抑える習慣は、人に対する恐怖心があったからだと今はそう想う。こんなことを言ったら相手が困るとか、傷つくとか心配するとか、怒るとか嫌われるとか。それは単なる憶測に過ぎないのに。習慣となってたから、そういうことを自分からはがしていく作業は結構時間がかかったけど、今やほとんど感情と直結ですっぽんぽんだ。愛は恐怖のないところに存在するんだと想う。

想い方の逆回転。愛し方の逆回転。
信じる私がいい。愛する私がいい。相手がどう反応したって私はあなたが好き!って言える私で在る方がいい。

私にとって私が一番大切な人だと自覚すると、同じように誰にとってもその人自身が一番大切なのがわかる。私だけが大切な人っていう訳ではなくて、誰もが同じように大切な人であることに気がつかされます。誰もが、それぞれの幸せを生きるべき大切な人なんだと。
そして、虫や植物や木々や鳥や魚や動物たちまで、想いはどんどん広がってゆきます。それぞれの幸せを生きるべき生命たち..。

すべての幸せを想いながら、私はうたをうたってる。
[PR]

by yumeyaeikoalways | 2005-06-09 00:50 | 思ったこと  

箱の中のコミュニケーション

パソコンをつないで3週間、「なんて楽しいんだ!!」って想う。顔見知り程度だった人や、逢ったばっかりの人や、逢ったこともない人とまでも、つながりあえることには、何とも驚いた。

イズミと、アキラさんと、モッチーのブログを読みたくて、私はパソコンを「始めてみよう」と想った。「パソコンを始める!」と宣言してから1ヶ月ほどで友人の古いパソコンをもらって、ネット人生が始まった。今では、ブログからブログへ旅をしている。いろんな人の想いやカタチを拝見させてもらっている。自分までもが、ブログのようなものを公開しちゃってる。


私は時代の速度や流れについていけなかったりする。(韓流って、何のことだか最近まで知らなかったし。)以前、E-mailがないと連絡できないという理由で循環型社会をテーマにするNPOに参加できなかった。
循環型社会はゆっくりと歩むことの実現でしかあり得ないと私は想っている。

その時にE-mailは確かに早いけど、それってやりたいこと=ゆっくり歩むこと=循環型社会と、なんだか違うよなーと想ってしまった。パソコンやE-mailを使うということは、『今・ここ・自分』という尊いものとかけ離れてしまう気がした。同時に、条件に合わない人は省かれていくというところで、人と人との絆が薄くなってしまうような気もした。ミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出した。

けれど、ネットとの付き合い方、それをどうするのかは『自分の在り方次第』だと、今は理解している。この3週間で、そう理解することができた。
面と向かって話すよりも、ネット上の方が人は素直になれるのかもしれないと想ったりもした。ひとつのテーマで参加する人が誰でも自由に発言し合える素敵な場も存在している。誰もが想っていることを伝えられるのって素敵なことなんだと想う。

顔が見えても見えなくても、人とつながり合えるのは嬉しい。出逢えた人はみんな愛しい。響き合いつながっていく人々。確かにつながり合って、影響し合って、輝き合って。..そんながいいな。普段の自分とぶれることなく、私は心を込めて関わろう。箱の中のコミュニケーション。そこにも、循環型社会を築いていく方法が見えてくるのかもしれないね。
[PR]

by yumeyaeikoalways | 2005-06-07 00:47 | 思ったこと  

音楽を通して出逢う

自分の周りを見回してみると、音楽を通して出逢った人ばっかりだなぁと、改めて想う。5月28、29日に松本クラフトに行った時にそれに気がついた。

クラフト会場で久しぶりに出逢った友人たちも、出店していた友人たちも、ばったりあった八ヶ岳の人たちも、みんな音楽のおかげで出逢えた人だった。太鼓教室の生徒、自分のお店をコンサート会場として使わせてくれた人、同じコンサートの出演者、一緒に楽器を作った人、楽器を作る人、イズミの友人..と、相手は様々だけど、音楽のおかげで私はその人たちと出会い、出逢えたんだと想っている。


松本クラフトで、太鼓を叩いている10人ほどのグループがあった。その人たちの「音」は心地よくて、楽しくなる響きがあった。聴いてるうちに、ウズウズが止められなくなって、ほんのちょっと勇気を出して、輪の中に混ぜてもらった。2時間ぐらい叩いたかな。楽しかった〜♪
大切に想っているところが同じようだった。彼らは「音」の通り、心地よくて、楽しかった。そして、みんな仲良しだった。地元の富山でみんなで満月の晩などに太鼓を叩いているらしい。出逢えてスゴく嬉しかった。一緒に太鼓を叩けて嬉しかった。こういう出逢いをする時、音楽をやっている自分が嬉しくてたまらない。幸せでたまらない。
音楽を通して出逢えた人々。音楽をやってなければ出逢えなかった人々。楽しい時間をありがとう!

音楽も、絵も、焼きものも、農も、表現は違っていても、カタチは違っていても、表現できるというのはそれだけで幸せなんだと想う。表現しているその人の中心から、今のその人を通して現れてくるカタチ..。
音楽はそのなかでも、ほかの人と共有しやすいのかもしれない。
音楽の表現者で良かった。音楽が結ぶ縁に感謝!
[PR]

by yumeyaeikoalways | 2005-06-01 14:01 | 思ったこと  

音合わせ 心合わせ

私は、うたうたいであるが、打楽器奏者でもある。そして、太鼓教室の講師でもある。始めた頃は2クラスだったのに、今はクラブ的なものをあわせると8クラスもある。


去年から、障害者と呼ばれる人たちのクラスと、子供のクラスが加わった。それまでは、健常者と呼ばれる人の大人のクラスだけだったから、それまでの自分やそれまでの教え方では、通用するはずがなかった。

「私も一人の人間、相手も一人の人間」と言う気持ちと、「私も豊かになる、相手も豊かになる」という気持ち、そして、絶対的に肯定する気持ちを自分の中心にいつも置いて時を重ねて行くことにした。少しずつ信頼を重ね、今では教室でありながら、あたたかな家庭のような場になった。色々が、とてもスムーズだ。

音合わせするには、心合わせする必要が絶対にある。音楽や楽器に慣れている人であるならば、音合わせイコール心合わせなので、あえて心合わせをするという必要がない場合が多いけど(逆に心合わせが不可能な場合もあるが..)、初めての人や音楽に苦手意識を持っている場合、「心合わせ」は必須だ。ペースと一緒で、合わせよう合わせようとしたって、合わせられるものではないが..。

自分と相手の境界を取っ払ったところ..。そこに自分を置いてみると、気持ちよく、心地よく、音合わせができる。そして心合わせも。双方がそこに立てるとなお良い。それは太鼓を教える時も同じだし、何をするのも同じなんだと、私は想っている。愉気と同じかな?

障害者と呼ばれる人たちが、私に教えてくれたことは、数えきれないほどある。正しいと想ってたことが間違っていたりするし、間違っていると想っていたことが何でもないことだったりする。私はそんな色々を教えてもらいながらも、太鼓を教えるという立場に誇りを持って関わっていたいと想う。

今月から、引きこもりと呼ばれる子供たちのクラスが始まった。きっと今までの私では通用しないんだろうが、愛し切るのみ、信じ切るのみだと想っている。そこが入り口な気がする。

今、太鼓を教えている子供たちが大人になった時、どんな人とでも、音合わせ、心合わせが容易くできるといいなぁ..なんて、夢は広がる。音楽を通して、大切な「何か」を私は育んでいたいのかもしれない。
[PR]

by yumeyaeikoalways | 2005-05-27 22:28 | 思ったこと