天龍川ウォーク3 -歩みの力-

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諏訪湖の水は山から流れて来たばかりなのに、とても汚れていました。生活排水?工場の排水?いずれにしても、人の手で汚してしまっているものです。湧き出したばかりの水を見て来たので、少し憂鬱な気持ちになりました。始めのうちは川沿いに工場もあったりで、川は汚れていましたが、私たちの歩みとともに、流れとともに川の水は澄んでいきました。虫や魚や鳥がよみがえりました。天竜峡は、楽園でした。青空が広がり、太陽にかかった雲が虹色に輝やき、近くには美しい蓮の花が誇らしげに咲いていました。
「妙なる力。人の手で汚してしまったものも、何事もなかったようによみがえらせてくれる。」と、想いました。

「楽園」とはほど遠い悲しい歴史がこの天龍川にはあります。
天龍川には4つのダムがあり、上流から最初にあるダムは長野県天龍村にある、平岡ダムです。
1940年に着工。1952年に完成。朝鮮や中国から強制連行された人や連合軍の捕虜など約3000人が従事したと言われています。記録に残るだけでも約120人が亡くなったとされている。本当はもっともっとたくさんいるんだろうな..。
ダムの管理所の前に、このダムの建設で命を亡くした中国人の慰霊碑が建っていました。朝鮮の人々の慰霊碑はありませんでした。電力の為のダム。みんなでお祈りしました。儚い豊かさの為に大切な何かを失ってしまう「人の心」。日本最大を誇っていたダムを前にして、涙が止まりませんでした。

水の無い川沿いを歩き続けると、平岡ダムでせき止められてしまった水の道、川の水がよみがえりました。あちこちの山から湧き出ている水が、天龍川を復活させました。川の水がよみがえると、虫も魚も鳥も植物もよみがえりました。奇蹟のようでした。地球という星の深い愛でしょうか。

当時小学校5年生だった素也は「天龍川の水質調査」を夏休みの宿題の自由研究に選びました。毎日、水温や水質、生態系などを調べていました。偉大な人です。彼の自由研究「天龍川の水質調査」の最後は、こう締めくくられていました。

『ダムで水がせき止められてしまっても、支流が流れ込んで、もとのように戻っていきます。また本流が汚れていても、支流が流れ込み、また綺麗になります。このことから、支流の「支」の字は本流を支えると言う意味じゃないかなぁと想いました。』

この言葉は、今でも私の歩みの力です。

まだ、続きます。
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by yumeyaeikoalways | 2005-06-11 11:58 | 足跡  

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