いのちある、ところ

一粒の種のいのちの不思議を想いながら、今、大豆を煮ています。
いのちは、どこから来たのだろう?いつ頃、この一粒の大豆は、大豆としていのち巡り、何人の手を通って、今、ここにあるのだろう??

去年咲いた桜の花は二度と咲くことはない。同じように見えるけれど、今年は違う桜の花が咲く・・。あたりまえと言えばあたりまえなのだけど、なんだか私はとても不思議でたまらない。感動さえしてしまいます。

とある学校給食で、「お金を払ってるんだから、子どもに頂きますを言わせないで欲しい」と言う親たちの意見を学校側が受け入れたという話を聞いて、「いのちを頂く」ということへの意識、その元にある「いのち」の受け止め方、いのちある生き物として人は「いのち」をどう捉えているのだろうかと、考えてしまう。

私が家庭を持っていた時、義父は腹水がたまって寝たきりになってしまった。毎日、お腹の中の水を抜かなくてはならなくて、毎日、病院に通った。糖尿病、B型肝炎、肝硬変、静脈瘤、肝臓癌・・、病気の巣のようですね。
それでも、彼は「生きること」を強く希望していた。

義母は義母で若年性のアルツハイマー、今で言う認知症という病気を煩っていた。たった今のことを、どんどん忘れていく。今まで容易くできてたことが、どんどんできなくなる。記憶がどんどん昔にさかのぼっていく。
それでも、やっぱり彼女は「生きること」を強く希望していた。

両親を介護していたのは、まだ20代だった私。
いのちとか生きることとか、夫婦とか家族とか、ご近所とか親戚とか社会とか、たくさん考えさせられた。両親それぞれがよく私に過去を語り、よく泣いた。私は、「うん、うん」と聴く。きっと、ずっと話したくて、きっと、ずっと泣きたかったのかも知れない。

その後、私は「どう生きるのか?」がテーマになり、自分を含めて誰の過ちもどうでも良くなってしまった。立派な人だろうと立派でない人だろうと、みんな生まれて生きて死ぬ。偉い人も偉くない人も、勝つ人も負ける人も、みんな生まれて生きて死ぬ。
いのちは、どこから来てどこへ行くのでしょう?

今、いのちある、私。今、いのちある、あなた。
それは、奇蹟。
今、やれること、できることを最優先にやって生きていなくっちゃです。

大豆を煮ながら、あれこれ想う冬の朝。
尊い唯一のいのちある、ところとして。
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by yumeyaeikoalways | 2006-01-21 12:37 | 料理人として  

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