「そもそも」の差異

何かを話し合っていたとして、どうしても話が通じなくなる場面や、「違う意見を持っている」というのとはまた違う、何か「そもそも」が違うと思うしかなくなるとき。互いに同じことについて話してをしていることには違いは無いのだけれども、「そもそも」が違えばどうしたって噛み合わない。

たとえば「水」。
水道から水が出ることは「あたりまえ」のことで、山から流れてくるのは「あたりまえ」のことだという話。それは、「あたりまえ」だとも思う。けど、私にとってはそれは「あたりまえ」のことでは全然なくて、不思議で不思議で仕方が無いことでもある。水が湧き出しているところに出かけて行っても、私には「あたりまえ」はそこでも見つけられない。水の循環する仕組みやその始まりに想いが飛ぶ。これは意見が違うと言うよりも「そもそも」が違っちゃってる。

たとえば「時間」。
一日は24時間、一時間は60分、一分は60秒が「あたりまえ」。
たとえば「暦」。
2月以外は1ヶ月が30日か31日あるってことが「あたりまえ」。
はい、これも「あたりまえ」です。生まれたときからそう"決められていた"から従うしかないけれど、私には「あたりまえ」のことじゃないし、誰かが何かの都合で決めたこととして捉えちゃっています。新月から始まる暦の方がしっくりするし、時間はもっと緩やかでバイオリンの音色のように流れるものなのだもの。

私の感覚の問題ってこともある。それでも、そこから世の中の「あたりまえ」を眺めていると、いろんなことがおかしなことに見えてしまう。で、「おかしい」と思うことを他人に話したところでたとえば両親などは「おかしいのはおまえだ」ということになるので、いいや、それで。

それでいいんだけど、と言いつつ、本当は良くないんだ。^^;
どちらが正しいとか正しくないと言う話ではなく、「あたりまえ」を軸としている人と「あたりまえ」を軸としていない人では「そもそも」がまったく違う。その差異は双方をわかる側の人にしかわからない。
(あたりまえ だけど^▽^)
わからない方は差異があることすらわからない。
気をつけよう、自分。。


こういう見方の「そもそも」もあるわけで。
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by yumeyaeikoalways | 2011-12-21 06:07  

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