ちから

12月です。
毎年、どんなことがあっても大晦日には「今年は良い年だったな」と想えて、新らしく迎える年を楽しみにするのですが、今年の大晦日に私はどう思うのでしょう。個人的には良きことはもちろんたくさんたくさんありましたが、津波の被害も原発の被害も何も解決されていないことを考えると、とてもじゃないけど「良い年だった」と現在の私には思うことができないでおります。


原発事故がなかったのなら、被災地の食品を買うという支援をしていたかもしれませんが、原発事故はあったわけで、現在も進行中なわけですから、私は安易に手を出すことができずにいます。食品の放射線量をきちんと測って、国が3月17日に出した暫定規制値ではなく、それ以前の規制値か国際規制値以下であることを確認していると言うのなら話は別ですが、そういう姿勢がないのなら、私は申し訳ないけれど買おうとは思いません。


放射能のことを考えていたら復旧できない、作業ができない、生きていかれない、と、津波の被災地の方や支援に入った人たちが言ってたことがありました。その通りなんだろうと思います。


でも。それでも。
事故を起こした原発からそう遠くない場所の海産物、農産物を買って支えて欲しい、食べて応援しよう!は、安易ではないだろうか。自分たちが立ち上がるために、自分たちを支援しようとする人たちに被曝させる可能性を与えても構わないと言うんだろうか。それとも、測らなくても原発事故前とは100%変わらないと言い切れるんだろうか。しっかり測っていないものを買って食べるということは、「復興のため」の支援ではなくて、(長い目で考えれば)助けたい相手に罪を作らせてしまうことになるんじゃないのか?と。その方がずっと嫌なことに思えてしまうんです、私には。わかりづらいし伝わりづらいし受け入れられづらい「買わない」という支援。。それは支援にならないか。


世間や周囲から危機感が薄れるにつれ、私は不安が広がってしまっています。
マイコプラズマにかかる人の多さ、風邪を長引かせている人や咳をしている人の多さ、自分の周りにいる大病を抱えている人たちの体調不良、、とても気にかかっています。すべてが放射能のせいだとは思いませんが、すべてが放射能のせいではないとも思いません。


3.11以降、いろいろなことに真剣に取り組んでいる人々もいますが、多くの人の無関心ぶり、他人事ぶりに恐怖を覚えます。よく観ること、よく聴くこと、よく考えること、想像力を働かせること、自分の心でしっかりと感じること、、それらが失われている気がしてなりません。政治も電力会社もマスコミの姿勢も、そして殆どの日本人の姿勢が変わらずにいることが、とても不安です。

一人一人が、静寂の時間を持つことが必要に思えます。
一人一人が、自分自身の心の声を、よく聴くことが必要に思えます。
私自身も、何かを超えなくちゃならない必要も感じます。
もっと、ちからが欲しい。
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by yumeyaeikoalways | 2011-12-01 00:26  

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