かたるしす

昨日は上弦の半月。

新月から始まるを素敵だなぁと思います。
私が好んで使っているのは、シーガルの旧暦カレンダー または、歳時記カレンダー
その季節のことがいろいろ書いてあって、読んでいるだけで楽しい♪

現在の味気ない暦が日本で使われ始めたのは明治5年(6年)から。
大きく暦を変えてしまうって、どうなんでしょうね?
明治5年は、12月がほとんどなかったわけだから、混乱したでしょうね。
大晦日を迎える前に新年が来ちゃったんですから!
ここで日本の民は月のめぐりと切り離されてしまった。

西暦にしても、キリストが生まれた年~? なんか変でなぁい?^^;
私が王さまだったら、旧暦がいいな~。王さまじゃなくても旧暦がいいけど。

「日本の原発は安全です。プルトニウムは飲んでも平気。日本はそういう国なんです。」
眼力がだいじよってことで↓
中国に雪男が出た


さて、
「自分の在り方を問う」は、ここ10年ぐらいの私のテーマのようですが、
震災以降、そしてここ最近はそれが非常に強くなっています。しかも、現在は私の中の「恐怖心」に触れているので、少々痛い日々が続いております。でも、この痛さは次に行くためには、ちゃーんとしっかりと受け止めなくっちゃ~な感じです。かたるしす的な。

私の両親は、超放任主義で普段はでたらめばっかり言う上に(かつて、そう受け止めていた)、あまり一緒に過ごす時間はなかったけれど、「人を思いやって、人の役に立ちなさい」ってことだけはよく言っていました。具合が悪い人や重い荷物を持った人を見かけると、見ず知らずの人であっても、自分が急いでいたとしても、迷わずに手を貸すという姿にはよく感動させられました。あ、ふたりとも生きてますよ。

で、誰かに何かをしてあげることや、惜しみなく与えることが正しさなんだと思って育ち、おとなになりましたが、あるときを境に「与えられた側の力」というものを考えるようになって、ものや考えや言葉や行動も、なるべく与えないようにしてあげないように努めて、自分の「してあげる」や「与えたい」と言う気持ちの動機をいちいち確かめるようになりました。

「良い人で在りたい」「良い人だと思われたい」或いは「好かれたい」という動機であった場合は、相手のことを考えているようで自分のことしか考えていないわけで、善意の押し付け、優越感といったものではないのか?相手の力を潰してしまうものではないのか?と。

周りの人を見回してみると、「良い人」であればあるほど、誰かに何かをしてあげることや与えるのがすごく得意であっても、誰かに何かをしてもらうことや与えられることが得意ではないようだ。l困ったときには「困った」と、助けて欲しいときには「助けて」と、もっと楽に言い合える関わりが広がって行ったらいいなぁ。

「与える」と「与えられる」が強弱なく同じ位置のもので、もっと大きな循環で(「与える」と「与えられる」が)活きていけば、きっと双方が楽で心地よいのかも。

でも、「人の役に立ちたい」という気持ちは人という生き物が生まれ持ったものだと思う。
心をたまねぎみたいに剥いて剥いて剥ききったその中心には、これしかないんだと思う。保育・教育とは守って・教えて「育てること・育むこと」。お勉強のよくできるバカを生み出すことぢゃないのだ♪
・北杜市にある森の幼稚園ピッコロのブログ、森のピッコロだより役に立つ人

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9月20日に富士見町で開かれた、広瀬隆さんの講演会の後半部分の映像。
広瀬隆講演会「リニア新幹線と原発」後編1



ひえ~っ、やめてくれーーーーー!!! 放射線量の高い地域で健康運動だって! 
うつくしまから太陽へ!県民健康運動

フクシマはチェルノブイリを抜いて「一番」という見方もあるのに。(偏ったサイトだけど)
10 Most Radioactive Places on Earth
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by yumeyaeikoalways | 2011-10-05 05:25  

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