大地に寝ころんで

福島のつながりある人たちに、八ヶ岳の野菜を送り始めて二ヶ月になります。
最初は二件だけだったのに、現在は25件に増え、
先週は春野菜と夏野菜の切れ目にあたり、送れるものが少なかったので野草摘みに出かけました。


「雑草」と呼ばれていますが、足元は食の宝庫♪
すぎな、よもぎ、つりがねにんじん、オオバコ、セリ、カキドオシ、どくだみ等々。
今回は、白州の友人宅のまわりで効用なども教わりながら野草を摘みましたが、
自宅のまわりにも、よ~く見るといろんな効用を持つ草がたくさんありました。
薬草図鑑を持って散歩をするのがとても楽しいです♪


野菜を提供したいと言う新しい協力農家さんが現れたり、
うちのジャガイモを送って~と、友人が協力してくれたり、本当に嬉しいです。
新聞の取材も受けたのですが、私はちっともすごいことをしてる実感がないので、
なんだか恥ずかしいような気がしてしまいます。


八ヶ岳の野菜や食品を作っているのも、
その土や野菜の放射能測定をしてくれたのも他の人で、
届けてくれるのは宅急便で、私は何をしてるのかといえば、
宅配希望者を募り、野菜をもらって、豆腐やパンと一緒に梱包して送り状を書いているだけなわけです。


それに、宅配代金もちゃんと頂いているし、
頂いたお金を福島移住組の支援に充ててるだけだから、すごいと言われると恥ずかしい。
本当にすごいのは、野菜を作って提供をしてくれる人やパンや豆腐を作っている人たちなんだと思いますね。私はただ、外からの被曝に苦しみ、食べるものにも不安を抱えなくてはならない放射線量の高い地域の人々に思いを馳せ、できることをやってるだけだから。


前回の記事、「原発と歌うこと」で、書いた「科学の進歩なんてどうでもいい」について、
科学を全否定したように受け取られた科学者さんからお叱りを受けました。^^;
そういうつもりじゃなかったけれど、誤解を与えちゃう文章を書いてごめんなさい。


科学にしろ、経済にしろ、
人々の幸福といううえにあることが大前提であって欲しいと願います。
誰かや誰かの幸福が犠牲になってしまっても構わないということが前提だとしたら、
やっぱり、私はそれを欲しいとは思いたくないんです。


こうして、PCを使えたり自動車に乗ったりできることは、
人間の発想と、科学の進歩のおかげであると思っています。もちろん経済も。
そこにちゃんと感謝しつつも、もし、それがない状態であったとしたらを想像してみると、
この星の上にいるただのなんでもない私で、何も持たない状態の自分で在ったとしても、
私は幸せでいられるんじゃないかと 思えるんです。


野草を摘み終わって、久しぶりに草の上に寝ころびました。
勢いよく流れる川の流れの音と、木々や草を揺らす風の音、鳥の声、
青い空、太陽と雲、山々、友だちの笑い声、草のにおい、、
本当に久しぶりに、心も身体もゆったりとしました。


・辻信一さん「絶望の共有」

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by yumeyaeikoalways | 2011-07-13 00:39  

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