このいのちのあるがままの力

おとといは、整体の勉強会で静岡県富士市まで行ってきました。
参加メンバーも確定してきて、行き帰りのごはんや寄り道や車中のおしゃべりもにぎやかで、
参加者全員が、月に一度のこの整体の会を心からの楽しみにしているのが主催者としてはかなり嬉しいことです。個性的で、良い意味で自分勝手な人ばかりなので、楽ちんだし、いと愉し♪
おとといの帰り道なんて、車中で大合唱だったし。(^^;)


行氣、愉氣、自働運動、体癖、、
常識的な考えだけでものを見ている人にとっては、
「ほんまかいな~」、と思うようなことも多々あるんじゃないかな。きっと。
でも、やってみれば納得できる。向いてない人もいるのかもしれないけれど。
本が出てるので興味があったらぜひどうぞ♪
野口晴哉著回想の野口晴哉 野口昭子著(野口晴哉先生の奥さん)


自分以外の誰かにもやってあげることもできるけれど、
まずは、自分自身のためにできるいろいろなことがあるのはとても良いなぁと思う。
そして、自分自身の体を一定のペースで観てもらうというのもとてもいいもんです。


今年の二月、「みんなで一緒に立とう」的に始まったこの会も、今回で8回目。
あきらかに、調子が違う。それに、YES、NOがはっきりしていて自分で楽ちん。
変化するのは体だけではないのですね~。


日々、自分の心と体をしっかり感じているというか、
ちゃんと観てるような感じと余裕があって、
自分が自分であるってことが、とても嬉しかったり楽しかったりする。
一ヶ月の間に、確実に季節が変化しているのと同じように、
一ヶ月の間に、確実に変化している自分自身がいるんだなぁと。
私自身よりも、一緒に通ってる友人たちの変化の方が良くわかるんだけどね。
自分のことって、足したり引いたりして見ちゃうから、案外わかりづらかったりしちゃう。


「このいのちのあるがままの力で生きる」と思い始めた頃、
当時、私の歌の活動をサポートしてくれていた友人の家に置いてあった2枚の通信。
何気な~~く手を伸ばして読んだ通信は、「友を想う」「愉気をする」というタイトルで、
その頃、自分が感じたり想ったり、そして探していたものの輪郭がそこに見えて、
一瞬でその通信を書いた人(今の先生)と野口整体というものに強く心惹かれた。
自身の自然」これも良かった。


その後、友人から縁をつないでもらって先生と出逢い、通信は自宅に送ってもらうようになった。
去年まで、先生が定期的に開いていた整体の会には、自分のライブと必ず重なってしまい、
定期的に通うことができないでいたのだけれど、いろいろなタイミングが重なって、
今、大好きな友人たちと、大好きな先生のところに月に一回ちゃんと通えることができてることを
とても嬉しく思う。いろんなモノ・コト・人に、大感謝なのです。


私はちっとも全力を出して生きてこなかったし、今だって、全力とは言えないから、
「このいのちのあるがままの力で生きる」というところにはまだまだ立てていない。
けれど、今までも、今も、その時々の全力で生きていた(生きている)ことは間違いない。
謎かけみたいな文章だな。。


あるがままの力が100あったとしても、
さまざまな理由から10や20を全力だと思っていたこともあるだろうし、
さまざまな理由から10や20が全力のときもあるわけなんだもの。
あれ? 結局謎かけみたいかな。(^^) 


自分で制限や限界をつくっておいて、それがすべてだと思い込んでしまって、
自分でつくった制限や限界に従って、からだが制限や限界通りのバランスをとっていて、
その小さな枠の中(10や20)での全力なだけで、全体(100)から見れば、まーだまーだ。
(^^;)うっ、言葉の限界だー。


なんにせよ、まだまだ変われるというのはいい。
まぁ、自覚しようがしまいが、生きてる限りは変わり続けるわけで、
その変わる方向が「このいのちのあるがままの力」である方がよいなぁと想うわけです。
100が、実はゼロの状態だったりするから、
100まで行けば、1000があることに気づいたりするのかなぁ。


「このいのちあるがままで生きる。」
これからが楽しみだなー♪ 秋、そして冬が楽しみだなー♪  美しく流れていこう!  

冬の妖精 いくつになってもこの曲が好きー♪ 
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by yumeyaeikoalways | 2010-09-29 07:27 | 思ったこと  

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